条坊制都城へ移る前段階であるとする説とは? わかりやすく解説

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条坊制都城へ移る前段階であるとする説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 15:45 UTC 版)

倭京」の記事における「条坊制都城へ移る前段階であるとする説」の解説

仁藤敦史は、上述の岸の説に対し、「倭京」を条坊制都城とは原理的に異なるものと判断し、「天武朝以前において、地域散在する継続的な支配拠点(宮・宅・寺・市・広場など)の総体を示す用語」であると主張している。この説は、飛鳥京以前宮都同様にこのような遺跡群体としてまずあり、飛鳥の地への大王宮の集中が「倭京」をもたらし従来一代限りの事業を越えるような恒常的な施設建造もたらしたという見解しめしている。 小澤毅はまた、『日本書紀』天武5年676年)条の「新城(にいき)」の語の初出王卿を「京及び畿内」に遣わした記事着目し、翌677年の「京及び畿内」での雨乞い記事680年の「京内二十四寺」への布の施入に関する記事、「京内諸寺」の貧し僧尼と民への救済措置にかかわる記事685年の「京職大夫」許瀬朝臣努(こせのあそんしたの)の死亡記事など、天武5年条を画期として「京」「京師」の語が頻出することを指摘し一定の領域をもった「京」の存在、さらに「畿内」と併称することによる周囲広がる「京外」の存在、さらに「京職」という官司存在は、「京」という行政区画があったことを示すものである論じ676年以降の「京」はそれに先だつ倭京」とは質的に異なる空間だったと結論づけている。 なお、上述676年以降の「京」に関連して渡辺晃宏は、『万葉集』の「大君は神にし坐せば赤駒のはらばふ田ゐを都となしつ」(大伴御行)、「大君は神にし坐せば水鳥のすだく水沼を都となしつ」(作者不詳)の両歌は、飛鳥浄御原宮のことではなく新益京藤原京)の造営を詠ったものとみてよい、と述べている。

※この「条坊制都城へ移る前段階であるとする説」の解説は、「倭京」の解説の一部です。
「条坊制都城へ移る前段階であるとする説」を含む「倭京」の記事については、「倭京」の概要を参照ください。

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