条坊制と町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 15:23 UTC 版)
都市の区画としての「町」は都城制に基づく日本宮都内の最小の区画であり、その成立は条坊制の成立と時を同じくすると考えられるが定説はない。大化2年(646年)正月の改新の詔には京に坊を置きたりと記されるが、『大宝令』文に基づく修飾文である。平城京出土の木簡には「左京小治町」と既に町の固有名すら生まれているのが垣間見られる。また特定の種類の居住者の名を冠して神祇町、春宮町、修理官町、左近町、御倉町、織部町、縫殿町、木工町といった(いわゆる官衙町)。例は古代から見られ、『続日本後紀』には「以仕丁町地長廿四広四丈広四丈、為陰陽寮守辰丁廿二人盧一居」と見える。だがこの時点では「町」は市街というニュアンスを有さなかった。
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