札幌丘珠事件とは? わかりやすく解説

札幌丘珠事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 08:23 UTC 版)

札幌丘珠事件(さっぽろおかだまじけん)とは、1878年明治11年)1月11日から1月18日にかけて北海道石狩国札幌郡札幌村大字丘珠村(現在の北海道札幌市東区丘珠町)で発生した、記録されたものとしては日本史上4番目に大きな被害を出した熊害事件[1]冬眠から目を覚ましたエゾヒグマ猟師や開拓民の夫婦を襲い、死者3名、重傷者2名[2][3]を出した[note 1]


注釈

  1. ^ のちに死亡した重傷者1名も加えれば、死者は4名となる
  2. ^ 三角屋根の簡素な小屋。両手を合わせたような形だったため、この名がつけられた。合掌造りと語源は同じである。
  3. ^ 中山茂大『神々の復讐』p49によれば、明治4年度の『札幌郡丘珠村人別調』に堺一家の構成が記されている。「堺倉吉 三十七」「妻 利津 二十九」「女 正 二」「母 喜登 六十五」。事件で死亡した留吉は男児であり、母親は事件では言及されていないので、中山は「倉吉の母親と女児は事件前に死亡し、その後に留吉が生まれたのかもしれない」と推理している
  4. ^ 内田瀞は、新渡戸稲造や内村鑑三ら「札幌バンド」の一員である。
  5. ^ 2日後の9月3日、明治天皇は白老郡で、同地のアイヌ民族が特別に挙行した模擬的なイオマンテを鑑賞している
  6. ^ 大島正健の『クラーク先生とその弟子たち』は、加害熊解剖の折の顛末に続いて、「傷が癒えた倉吉の女房」がヒグマの胃の内容物が収められたガラス瓶を目にして半狂乱になるありさまを淡々と記している。そのガラス瓶は平成初期までは来場者が自由に観覧することができた。平成後期以降は収蔵庫に収められ、一般公開はしていない。また、加害熊の剥製も劣化が激しいため、一般公開はされていない。
  7. ^ 『札幌事件簿』p44に「北海道開拓記念館蔵」としてリツの写真が掲載されている。この写真は、一般への公開はされていない

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