本郷家の沿革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:17 UTC 版)
元禄の終わり頃(18世紀初頭)、庄兵衛なる人物が、現在の横手市本郷地区から角間川に来て「能登屋市兵衛」方に奉公していたが、その働きぶりが評価されて現在地の辺りに独立した。同人が本郷家の初代で、以降7代まで「吉右衛門」を襲名した。「本郷」の苗字は、初代の出身地にちなむものである。3代吉右衛門が、18世紀末から19世紀にかけての頃、角間川一帯で商いを大きくし、財を成し、間口も逐次拡げていき、その頃以降、代々農地を集積して「在方(ざいかた)商人地主」としても成功し、明治期には秋田県屈指の大地主となった。 本郷家の商いは雄物川の舟運と深く関わっていたが、1905年(明治38年)の奥羽本線開通により舟運が衰退し、角間川の繁栄にも陰りが見え始める。それでも1924年(大正13年)の農務局の調査では、まだ345町歩(ha)の農地(本郷家・本郷合名会社の合計)を所有していたことが分かるが、第二次世界大戦後の農地改革によりそのほとんどを失った。 本郷家は、「秋田の腐れ米」の改善に取り組む秋田改良社の設立に関与したり(6代吉右衛門)、雄物川通船貨物保険の運営に当たるなど、地域の農業や経済の発展に大きく貢献している。
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