本郷家隆盛の源 河港のまち「角間川」の歴史
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秋田県大仙市の南端に位置する角間川町地区は、秋田県の内陸南部に広がる日本有数の穀倉地帯である横手盆地の中央部に位置し、盆地西縁を北に向かって流れる「秋田の母なる川」とも称される雄物川とその支流の横手川の合流点に位置している。 角間川は、関ヶ原の戦い後に改易されたこの地方の豪族「小野寺」氏の城主格を含む旧臣72人が慶長7年(1602年)に佐竹藩に仕官を願い出て、梅津半右衛門憲忠組下の給人となり、侍の身分を持ちながら農夫として荒地の開墾を行い、新田開発により今日の基礎を築いた。 江戸時代に、角間川港が米穀を中心とした物資の集積地、また生活物資等の集散地として、舟運の要衝に位置づけられ商業的な地主が成立し、明治期には県内を代表する地主町として広く知られ、角間川は大いに繁栄した。 近世における内町(侍町・給人屋敷)と外町(商人町)といった町割りは、大仙市内において特徴的であり、現在でも内町には、侍町の特徴を表す鉤型の通りが遺っている。
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