木嶋義夫と千葉郊外自動車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:59 UTC 版)
「千葉中央バス」の記事における「木嶋義夫と千葉郊外自動車」の解説
千葉中央バスの前身は、千葉県議会議員(のち参議院議員)・木島義夫らによって設立された千葉郊外自動車という会社である。路線の歴史は、木嶋個人が大正時代末期から誉田を起点に、南の瀬又(現在の市原市)方面と西の野田(千葉市緑区誉田町一丁目の野田十文字付近)に向けて運行していた2つの路線に始まる。 木嶋はその後、積極的に路線の拡張を進め、昭和初期に誉田 - 野田線を鎌取へと延長したのち、1934年に本千葉駅(現在の千葉中央駅の場所)への乗り入れを開始する。これには路線の重複する千葉市街自動車(京成バス千葉市街路線の前身)から大きな反発があったが、それを押し切っての延長であった。一方、瀬又側は、木嶋の郷里である国府里(現在の長柄町)を経て茂原方面に伸びていくこととなり、1935年に本千葉 - 誉田 - 東国吉 - 茂原という直通運転が開始された。これとともに同年、木嶋らによって千葉郊外自動車が設立され、以後同社の経営となった。千葉郊外自動車はこのほかにも、1939年の時点で潤井戸周辺、土気 - 大網間でも運行していたことが『千葉県史』 に記されている。 1944年には戦時下の交通統制の流れの中で、小湊鐵道バス部の前身である袖ヶ浦自動車に統合されることとなっていたが、直前に回避され独立経営が維持された。
※この「木嶋義夫と千葉郊外自動車」の解説は、「千葉中央バス」の解説の一部です。
「木嶋義夫と千葉郊外自動車」を含む「千葉中央バス」の記事については、「千葉中央バス」の概要を参照ください。
- 木嶋義夫と千葉郊外自動車のページへのリンク