木工との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 00:58 UTC 版)
KAK設立後間もなくはデザインの依頼がなかった。KAKの仕事として雄鶏社から「家庭の工作」を出版。当時、どこの家庭でも不足していたテーブルやラックといった生活用具を手に入りやすい一つの規格材で容易(釘と鋸だけでも作れる)かつ丈夫に製作できるようにデザインした。和裁をヒントにした型紙方式であったことも画期的だった。これによりKAKの3人は本放送間もないNHKの講座に出演し、生放送で腕前を披露した。金子至も木工を得意にしていたこともあり、KAKの社内では若い社員と共にレクリエーションとしても木工を楽しんでいた。 「木は狂う、あばれる、そる、生きているから、だから好き。」という自作の詩を、よく言いよく書くほど木に対する愛着が強かった。デザイナーのモデル製作技術を指導する場が基になったFD木工塾が、71年から自宅の工房を開放して始められた。当初はデザイナーが中心だったが、マスコミを通じて秋岡の名が一般に知れるようになると、デザイン以外の職業を持つ人も入塾するようになっていった。76年には美術出版社から「木工(道具の仕立)」が刊行。
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