最後の取材
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 21:34 UTC 版)
山本は2012年(平成24年)8月14日に現地入りした。20日シリア内戦の取材中にシリア北部のアレッポにて銃撃を受けて、搬送先の病院で死亡が確認された。パートナーの佐藤が病院で遺体を確認したところ、右腕および首に銃創痕が、防弾チョッキで保護された腹部にも、銃撃の跡があり、大量の出血があった。反アサド政権「自由シリア軍」のスポークスマンは山本の死亡を発表。。日本の外務省もこの事実を確認した。山本の家族へは21日の9時頃に、佐藤からの電話連絡で伝えられた。 山本の遺体は、22日トルコ・アダナの政府施設に運ばれ検視が行われた。その後遺体はイスタンブールを経由して、8月25日に遺族や佐藤と共に同便のトルコ航空(現・ターキッシュ エアラインズ )機(ボーイング777)で日本の成田国際空港に搬送された。同日、警視庁は刑法の「国外犯規定」に基いてこの事件を殺人容疑で捜査を開始。荻窪警察署で検視が行われ、遺体は一旦自宅に運ばれた。警視庁組織犯罪対策2課は、現地で行動を共にしていた佐藤らから事情を聴くとともに、銃撃戦の際に山本が撮影していたビデオカメラの映像を解析し、容疑者の特定を進める。翌26日、東京大学病院での司法解剖を経て、首への銃撃による頸髄損傷が致命傷となったことがわかった。また、銃創痕が9カ所あることが明らかになった。
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