書学院設立へ
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1918年(大正7年) 天来は自らのコレクションをもとに、かねてより師鳴鶴との構想であった「書道館」(後の書学院)を建て、歴代の碑帖を展示して学書者に閲覧させようと考え、「書学院建設辞」を草す。 1919年(大正8年) 「書学院建設趣旨書」を出す。発起人として犬養毅、細川潤次朗、頭山満、大谷光瑞、樺山資紀、嘉納治五郎、日下部鳴鶴、松方正義、松平直亮、股野琢、後藤新平、小牧昌業、沢柳政太郎、三島毅、釈宗演、土方久元、国外粛親王が名を連ねる。 1921年(大正10年) 『学書筌蹄』(全20巻)刊行開始。以後、『余清斎帖』『朝鮮書道精華』『昭代法帖』など多数の書道関係書を刊行する。 1922年(大正11年) 日下部鳴鶴没。 1924年(大正13年) 東京初台町に居を構え、「書学院」の看板を掲げる。同年、大同書会の法帖出版部門は「書学院後援会」に統合、改称される。
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