書学論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 07:25 UTC 版)
書学論は、書全般についての考証的な研究である。書学とは書の形式である書法を集成したもので、中国では書道という言葉は使わず書学という語を用いている。書とは何かということについて中国の書論では、「人間の精神」・「自然(道)」・「骨法用筆」という3者との関係でおおむね論述されている。孫過庭の『書譜』、姜夔の『続書譜』などがある。 前漢の揚雄の言葉に、「書は心画たり」とあり、書は人間の心をあらわすものといっている。孫過庭は『書譜』の中で、この心の奥底(魂)を「霊台」と表現し、書の表現の素晴らしさは人間の深い内面がそのまま筆の動きにあらわれることだと述べている。また、張懐瓘も『文字論』の中で、「霊台に由らざれば、必ず神気に乏し」と記している。筆には筆者の無意識の心の動きを引き出す力が備わっているように思える。高村光太郎は、「画は見飽きることもあるが、書はいくら見てゐてもあきない」といっているが、それは画よりも書の方にその人の無意識の内容がより多く表現されているためである。
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