書画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 07:18 UTC 版)
書画(しょが)は、東洋美術の一分野であり、書作品と絵画作品の総称。 「書と絵画」という意味ではあるが、両者の一体化した芸術(後述)、あるいは、文人の教養分野、才能の発露というニュアンスでも用いられる(類例:琴棋書画、詩画)。
概説
東アジア(日本の東洋史における事実上の「東洋」)において「書」と「画」は一つのフレームに表現されることが多く見られる。例えばある絵画作品に対して、鑑賞者がその鑑賞、感興、賛辞を書き入れることなどがある(賛)。このとき、この作品は絵画と賛(書作品として、文芸作品として)は一体のものとして鑑賞の対象とされる。長い時代を隔てて賛が書き添えられていくことも稀ではない。 絵画の作者自らが賛を作品に書き入れることを「自画自賛」と言う。
書・画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 09:09 UTC 版)
書は蘇軾・米芾・黄庭堅などの宋代の書に師法し、行書・草書に秀でた。袁宏道が「八法の散聖、字林の侠客」と評したように自由奔放な書風を確立した。清の八大山人・石濤・揚州八怪らは徐渭の書風を強く敬慕した。 京都鷹峯の太閤山荘には小堀遠州作の茶室「擁翠亭」が移築されており、そこの扁額は、徐渭が万暦20年(1592年)に書いたもので、現在その写しが掲げられている。 画は牧谿など宋・元の花卉図を模範とし、やはり自由奔放で大胆な画風であった。陳淳とともに写意画派の代表とされる。徐渭は好んで水墨の花卉雑画を画き、自作の題詩を書き込んでいる。山水図はあまり画かなかった。その画風は清初の八大山人・石濤、また鄭燮や李鱓、清末の趙之謙・呉昌碩・斉白石・潘天寿など後の大家に強い影響を与えた。
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