暦からの考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 06:53 UTC 版)
『日本書紀』では、神武紀から20代安康天皇までが「儀鳳暦」で、雄略紀から41代持統天皇までが「元嘉暦」によって組まれている(小川清彦説)。中国では元嘉暦の方が成立が古く(445 - 509年)、儀鳳暦が後となる(665 - 728年)。中国南朝や百済は元嘉暦を使用し、5世紀の倭が暦法を用いたのであれば、元嘉暦に拠ったとみられる。儀鳳暦が日本に伝わったのは唐の儀鳳年間(7世紀末)と考えられ、新羅使などを介してもたらされたともされる。『日本書紀』では持統天皇4年(690年)に、両暦を併用した記述があり、これが文武天皇即位697年に儀鳳暦一本に置き換わった。これらの研究から神武紀の紀年自体は7世紀末以降に成立したと考えられる。 また神武天皇即位が辛酉の年の春正月庚辰朔とするのは、古代中国思想で辛酉年が大変革(革命)が起きるとされたためで、このため推古天皇9年(601年)の辛酉から1260年さかのぼった紀元前660年と設定されたと考えられる。これが天皇(欠史八代)の在位年数と年齢が異様なまでに長い理由とされ、伝わっていた代数には手は加えられなかったために治世・寿命の方を水増しせざるを得なかったと解釈されている。
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