暗鬱たる時代(戦中~終戦)
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「瀧口修造」の記事における「暗鬱たる時代(戦中~終戦)」の解説
1938年、阿部芳文、永田一脩、今井滋、田中雅夫らとともに前衛写真協会を結成。『みづゑ』誌上で「マルセル・デュシャン(調革の論理)」を発表。同年アンドレ・ブルトン制作の『シュルレアリスム簡約辞典』 に妻、瀧口綾子、山中散生、下郷羊雄、大塚耕二、岡本太郎らと共に掲載された。同年に戸坂潤の求めで『近代藝術』(三笠書房)を刊行。 1941年3月に、当局に前衛思想が危険視され、シュルレアリスム系の画家である福沢一郎とともに、治安維持法違反容疑で特高に逮捕され、警視庁杉並警察署に留置を受け、8ヶ月間にわたりシュルレアリスムと国際共産党の関係を糾問される(起訴猶予のまま同年11月に釈放)。この逮捕により、戦前の日本のシュルレアリスム運動は終息に向かった。1945年5月25日の東京最後の空襲で自宅を全焼し、戦前の活動を記した全ての原稿や文献が失われた。敗戦の日を金沢市の綾子夫人の実家で迎え「しびれるような解放感」を味わった。
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