晩年のニキ - 開館・制作終了
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「タロット・ガーデン」の記事における「晩年のニキ - 開館・制作終了」の解説
1980年代末から1990年代初頭にかけて、ニキは他の仕事が入り、タロット・ガーデンで過ごす時間が少なくなった。すでに1980年代に入った頃から関節リウマチを患っていたうえに、とりわけ、1991年8月にティンゲリーがベルン(スイス)で死去すると、ニキは健康状態の悪化にもかかわらず、タロット・ガーデンの制作を進めると同時に、バーゼルにティンゲリー美術館(フランス語版)を設立するために尽力した。建築家マリオ・ボッタが設計したこの美術館は1996年に開館した。また、増田静江が栃木県の那須高原にニキ美術館を設立したのは1994年のことであり、ニキはこの美術館のデザインを担当したが、その奇抜な造形は、国立公園法による厳しい規制のために実現しなかった。 1994年、ニキは健康上の理由から、カリフォルニア州サンディエゴ市のラホヤに居を定め、死去するまで8年間ここに暮らすことになった。だが、ここにアトリエを設置し、鏡、ガラス、石を使って作業を続けた。ルジョーヌが何度もラホヤに足を運び、協力した。 タロット・ガーデンは次第に来園者を受け入れていたが、1998年5月15日に正式に開館した。ニキは開館後もラホヤで「カリフィア女王の魔法の輪」などの小規模な彫刻の制作を続け、現場でも引き続き作業が行われていたが、2002年5月21日にニキが死去すると、生前から彼女が望んでいたように、この時点で、タロット・ガーデンでの制作はすべて終了した。
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