晩年のメイヤー
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「ルイス・B・メイヤー」の記事における「晩年のメイヤー」の解説
メトロ・ゴールドウィン・メイヤーを退社したメイヤーは、映画ビジネスから手を引き隠退生活に入ることになった。晩年のメイヤーは石油産業や不動産に投資することで、自らの資産を更に増加させた。投資業の傍ら、メイヤーは以前にも増して精力的に政治活動に関わるようになった。メイヤーは上院議員ジョセフ・マッカーシーの赤狩りに積極的に協力、1952年の共和党全国大会では中道路線を主張する大統領候補のドワイト・D・アイゼンハワーを「穏当すぎる」として非難した。 1956年7月頃よりメイヤーは体の不調を訴えるようになった。当初は単なる貧血だと診断されたが、後に白血病に罹患していることが判明し、同年9月にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校の医療センターに入院することになる。その後輸血などの処置が継続して行われたものの、治療の甲斐なく1957年10月29日に73歳で死去した。メイヤーの遺骸は、イーストロサンゼルスのユダヤ人墓地に埋葬された。死後、彼の遺言に従って娘エディスとその夫が一族から除名された。その理由とは、彼女の夫が進歩的な政治思想を抱いていたから、というものだった。
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