晁蓋の地位の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/16 08:58 UTC 版)
詳細は「水滸伝の成立史」を参照 水滸伝のストーリーが成立する以前から、晁蓋の名は宋江をはじめとする梁山泊盗賊集団の伝説の中に含まれていた。南宋末あるいは元初の成立と思われる龔聖与による絵画「宋江三十六人賛」では晁蓋は第34位とかなり下位に位置している。その後に成立し、水滸伝の原型となった説話集『大宋宣和遺事』における梁山泊説話においては、生辰綱をしびれ薬の酒で奪い取る話、宋江以下全員集合した際にはすでに死去していることなど、現行水滸伝における晁蓋のストーリーの大枠がすでに完成している。しかし、宋江の下に連なる三十六人(総勢では37人)の名簿の中では、晁蓋が第36位(最下位)に位置づけられている。なおあだ名はともに「鉄天王」である。 このようなことになった理由は不明であるが、学界ではいくつかの仮説がある。現在の水滸伝のストーリーが固まるにつれて、宋江の先代首領として物語上の地位が高まり、また「天王」のあだ名から連想される毘沙門天(托塔李天王)のイメージが重ねられたため、晁蓋は「108星の上に位置する番外にして全体の守護神」という位置づけにまで高められたものであろう(宮崎市定『水滸伝 虚構の中の史実』の説)とか、晁蓋から義弟宋江へ後継される話が、趙匡胤・趙匡義兄弟の千載不決の議を元ネタにして創作された後で、宮中の秘事をイメージさせる露骨な話は、時の政府を批判すると取られそうだということから、更に改変されて現在の形になったとも言われている。(大塚秀高『天書と泰山 : 『宣和遺事』よりみる『水滸伝』成立の謎』)
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