明治酒税法とどぶろく
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:23 UTC 版)
どぶろくは酒蔵だけでなく、かつては各家庭、農家などでも一般に製造されていた。しかし明治年間に入ると、酒造税(1940年以後、酒税)が制定され、やがてどぶろくの自家醸造も禁止された。自家醸造を禁止した理由は日清・日露戦争で酒税の大増税を繰り返した際にその負担に耐え切れないとする醸造業者に増税を許容してもらうための一種の保護策であったとも考えられている。 明治時代においては酒造税は政府の主要な税収源であり、酒税は国の税収の3分の1に達し、国税3税のひとつといわれた。酒造税制定前後には造酒税増税へ抗議した酒屋会議などの動きがおこり、植木枝盛ら自由民権運動とも結びついていたが、政府は制裁的にさらに増税した。その後、松方財政による米価低迷が日本酒の価格下落を招き、運動は停滞していった。だが、酒造業者の経営不振はやがて税収減少に跳ね返ることとなり、政府はどぶろくなどの自家醸造禁止などの酒造業者保護策を打ち出して酒造業者との妥協策を探る方向に転換した。 こうして、農家などで自家生産・自家消費されていたどぶろく作りが酒税法により禁止され、現在に至っている。しかし家庭内で作ることのできる密造酒でもあるため摘発は非常に難しく、米どころと呼ばれる地域や、酒を取り扱う商店等の少ない農村などで、相当量が日常的に作られ消費されていたともいわれる。
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