昌続死後の土屋家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:40 UTC 版)
昌続の討ち死の後、子がいなかったため、弟の土屋昌恒が土屋家の名跡を継いだ。昌恒は武田家最後の家臣として片手千人切りの伝説を残すことになる。昌恒の嫡男の土屋忠直は、徳川秀忠の下で大名に取り立てられ、子孫は大名家や旗本家として続いた。 忠直の弟の土屋重虎は、信州新野に落ち延び、武田信虎の弟・光国舜玉和尚の下で出家し、同地の瑞光院の住職を務めた。弟子の久保田彦左衛門は即身仏となり、真宗行順大行者として現在も年に2回の御開帳が行われている。また𡈽屋家は国の重要無形文化財「新野の雪まつり」伝承を続けている。 武田家臣末裔による「武田家旧温会」の会長を土屋誠司(沼津ライオンズクラブ会長、沼津商工会議所監事)が2013年より務めた。誠司は昌恒の子で現在の富士宮市にて帰農した八之丞(はちのじょう)の子孫に当たる。 娘婿の土屋長安は武田家滅亡後の徳川政権下、徳川家康の寵愛を受け、大久保長安と名乗り、老中まで上り詰めて強大な権力を得た。 俳優の土屋嘉男は、山梨県甲府盆地の北東、大菩薩峠の登山口の七里村(旧塩山町、現甲州市)出身で、昌続の子孫といわれる。1969年公開の映画『風林火山』で昌次を演じている。
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