昌能の人格に関する逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/06 01:12 UTC 版)
昌能の性状は粗暴で、影では「荒大膳」と呼ばれていた。追腹一件で殉死した杉浦右衛門兵衛も殉死が禁止されていたことは知っていたが、昌能が促したために殉死したという。興禅寺事件での公平を欠く仕置に対して、昌能を見限って離れた家臣は40人以上に及んでいる。 世子時代から既に粗暴だったようであり、次のような逸話が伝わる。城近くの田川で釣りをしていると、いつもと違って川が濁って魚がとれなかった。家臣に上流を調べさせると、山伏数人が水垢離をしていたためだったが、昌能は激怒して2人の山伏を処刑した。斬られた山伏の弟子9人はこれを恨みに思って幕府に訴えようとしたが、その前に昌能は弟子も全て処分した。
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