瑞光院とは? わかりやすく解説

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瑞光院

読み方:ズイコウイン(zuikouin)

宗派 臨済宗大徳寺派

所在 京都府京都市山科区

本尊 釈迦如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

瑞光院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 19:13 UTC 版)

瑞光院
所在地 京都府京都市山科区安朱堂ノ後町
山号 紫雲山
宗派 臨済宗大徳寺派
正式名 紫雲山瑞光院
法人番号 1130005001203
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瑞光院(ずいこういん)は京都市山科区安朱堂ノ後町にある臨済宗大徳寺派仏教寺院。かつては上京区堀川頭今宮御旅所下ル瑞光院前町に存在した。現在の場所に移転したのは昭和37年[1]忠臣蔵ゆかりのある寺院でもある。

歴史

慶長16年(1611)に浅野長政は当地にあった朝野稲荷[2]を廃し、京における別邸が建てられた。長政が死んだ後、山崎家盛がその別荘を瑞光院とした[3]。その後山崎家が断絶してしまった後は、浅野祖先のゆかりの寺であり、瑞光院の和尚と叔父、姪の間柄にあった浅野長矩(内匠頭)の妻、瑤泉院が浅野家の武運長久を祈願し寺を再興した[4]

浅野内匠頭が有名な松の廊下の事件で切腹した後は、家臣が瑞光院へ来て、浅野内匠頭の衣冠を境内に埋め、供養塔を作り主人の冥福を祈ったとされる[5]。浅野内匠頭の家臣であった大石内蔵助良雄など義士たちの切腹の際は、瑞光院の僧が江戸へ行き、義士の遺書と遺髪を集めて、院へ戻り遺髪塔を建てたとされる[6]。 昭和37年(1962年)、瑞光院は現在の場所に移転した[1]

交通アクセス

  • 京阪京津線・JR琵琶湖線・地下鉄東西線山科駅下車、北へ徒歩15分。[7]

脚注

  1. ^ a b 佐和隆研・奈良本辰也・吉田光邦ほか編『京都大事典』淡交社、1984年、p.528
  2. ^ 叱枳尼尊天が才神で、たまたま同音になっているが浅野氏とは無関係。
  3. ^ 京都・山城寺院神社大事典. 平凡社. (1997年) 
  4. ^ 田中緑紅著『忠臣蔵名所(復刻版)』三人社、2018年(初出は1958年)、p.16
  5. ^ 田中緑紅著『忠臣蔵名所(復刻版)』三人社、2018年(初出は1958年)、p.17
  6. ^ 田中緑紅著『忠臣蔵名所(復刻版)』三人社、2018年(初出は1958年)、p.18
  7. ^ 京都観光Navi 瑞光院”. 2019年4月7日閲覧。

参考文献

外部リンク



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