旧・道路法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 00:54 UTC 版)
明治時代に内務省は道路に関する統一法規を制定しようとしたが、これを実現し法定化することはできなかった。戦前の内務省が管轄する公共設備として、大別すると河川と道路があったが、河川は旧・河川法が1896年(明治29年)に成立して国と地方自治体の責任区分が法定化されたのに対し、旧・道路法のほうは約23年遅れて1919年(大正8年)に初めて成立して、国と地方自治体両者の責任と費用区分が法定化された。このように法定化が遅れた背景には、当時の国策として陸上交通は道路よりも鉄道が優先されていた時代であり、道路が等閑視されていたのが最大の理由だとされている。 当時の日本の道路事情は劣悪で、特に酷いところでは馬が道路上のぬかるみに足を取られて体が埋まってしまうほどであったと伝えられ、その一方、20世紀初頭から自動車の輸入が始まっており、旧・道路法成立の時期には全国で約5,000台にまで普及していた。旧・道路法制定に伴って、その翌年の1920年(大正10年)に施行細目として旧・道路構造令が定められ、道路構造設計にあたり、初めて自動車交通が基準として考慮された。
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