日産グループからボルボグループへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:01 UTC 版)
「UDトラックス」の記事における「日産グループからボルボグループへ」の解説
1999年、ルノーは日産自動車との資本提携時に日産ディーゼルへ出資して株主名簿記載順位第2位となり、ルノー指揮下でリストラを進行した。 2003年3月、日産ディーゼル車架装のおよそ6割を担っていた富士重工業伊勢崎製作所がバス車体製造事業から撤退(同年にスバルカスタマイズ工房として独立、2011年より桐生工業伊勢崎工場)。それにともない、バスボディの調達先を西日本車体工業へ集約した。 2005年3月、経営再建が終了してルノー所有株式が放出され、再び日産自動車傘下になる。 2006年3月、筆頭株主の日産自動車が保有する株式19パーセント中13パーセントをスウェーデンのトラックメーカー、ABボルボへ売却し、ボルボが筆頭株主になる。同年9月、残る6パーセントもボルボへ売却され、日産自動車との資本関係は消滅した。当時の時点では「日産ディーゼル」の会社名は変更しないと発表された。 2007年2月20日、ボルボは完全子会社化を目的として株式公開買付けを実施すると発表し、日産ディーゼルも賛同を決議した。同年7月23日、買付け成立にともない東京証券取引所上場廃止となった。 2009年11月、2010年1月1日付で日本ボルボを吸収合併し、日産ディーゼル子会社のクリエイトセンター、ならびに同じく子会社でシステムブレーンの流れをくむボルボ・インフォメーション・テクノロジー・ジャパン(ボルボITジャパン)も同日付で吸収合併するとウェブサイトにて発表される。 2010年1月19日付の各紙朝刊で、同年2月1日に「UDトラックス」へ社名を変更すると報道されるが、「2月1日の社名変更は事実だが、新社名は1月26日に発表する」とウェブサイト上で発表。同年1月26日に「UDトラックス」への2月1日付けでの社名変更が発表され、ブランドも「UDトラックス」に統一された。 2014年、ボルボ・グループ・ジャパンと合併、同社を存続会社とし、商号は「UDトラックス」とする。
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