日産エンジンへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 15:04 UTC 版)
「クラージュ・コンペティション」の記事における「日産エンジンへ」の解説
日産モータースポーツは、当時R390 GT1でGT1クラスで参戦してたが、1999年にオープンコックピットプロトタイプの開発を検討していた。プロジェクトを支援するために、日産はシャーシの開発だけでなく、日産が必要なテストと走行距離を獲得するサポートの為に日産エンジンを使用するクラージュを頼った。したがって、1998年のルマンには、2台のポルシェエンジンのクラージュに加えて、2台の日産エンジンのクラージュ・C51も参戦した。どちらもR390GT1と同様の日産・VRH35L 3.5LV8ターボを使用した。しかし、ポルシェエンジン車が完走した一方で、両方の日産エンジン車はフィニッシュできなかった。 1999年、日産はクラージュとの関わりを継続。日産は自チームの日産・R391と一緒に走るために、クラージュ・C52のシャーシを購入し、クラージュは引き続き日産エンジンを使用して開発した。1999年のルマンでは、クラージュは6位、ニスモは8位、 ペスカロロロ・スポールのクラージュ・C50 ポルシェは9位でフィニッシュした。しかし、日産・R391はトラブルで完走できず、その年限りで日産はスポーツカーレースから撤退し、クラージュとの関係を終わらせることになった。
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