日独写真機商店時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 08:00 UTC 版)
創業者の田嶋一雄は日本に職を求めて来たドイツ人ビリー・ノイマン、日本で写真機械の輸入をしていたドイツ人ウィリー・ハイレマンと協力してカメラの国産化を企て、1928年11月に個人企業の日独写真機商店を設立した。社名はこの協力関係を表すとともに、舶来礼賛の当時、ドイツの技術を誇示する意図もあったと思われる。 兵庫県武庫郡(現西宮市)に工場を建設し、30人ほどの従業員を集めて事業を始めた。当時の近畿地方には精密工業の基盤が全くなかったため、ネジ1本の生産、メッキに至るまで下請けには出せず、自社で行わねばならなかった。 1929年3月に第一号機ニフカレッテを完成し、これはエ・クラウスのローレッテのコピー、レンズとシャッターはドイツからの輸入品であり、また工員も不慣れで当初月産50台という状態ではあったが、ボディーはなかなかの出来であった。以後ブランドは社名のニ、フォトグラフのフ、カメラのカからニフカを使用した。1930年にはハンドカメラのニフカクラップ、ニフカスポーツ、ニフカドックスなどを発売し、製造も軌道に乗った。 1930年10月に武庫川工場でストライキがあり、田嶋一雄は穏健策を提案したが、工場責任者であったウィリー・ハイレマンはストライキ参加者全員の解雇という強硬策を押し切り、2人の関係が微妙になっていく。
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