日本BCL連盟とは? わかりやすく解説

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日本BCL連盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 21:01 UTC 版)

日本BCL連盟(にほんビーシーエルれんめい)は、日本短波放送受信愛好者(BCL)サークルの中では最大規模であった友好団体。“電波で世界に友情を!”のスローガンを掲げ、1970年代後半から1980年代にかけて、短波放送受信趣味(BCL)の一大ブームを築き上げた団体として知られている。1978年12月時点の会員数は16,000人[1][注釈 1]


注釈

  1. ^ 一方で、1978 年末の会員数を7773 人とする資料もある[2]。“日本BCL 連盟の会員数も、1975年の発足当初は300人前後であったが、76年末に3781人、77年末に5102人、78年末に7773人、そして81年には1万人を超えたという(名越眞之・紺野敦,2011,『「日本BCL 連盟」の記録』)。”
  2. ^ 英語の“distance”の略で、頭文字のdを取って、その後に言葉を省略するときに使うXをつなげたもの[3]BCLの項目も参照。Distance Reception の略でもある[4]
  3. ^ 1977年6月号の「VHF-DXingその受信テクニック」、1978年6月号の「VHFの受信成果とDXテクニック」など[7]
  4. ^ 電離層の状態が季節や太陽黒点活動によって変化することによるもの。短波放送の項目を参照。これと関連して、短波誌では毎月「太陽の黒点から見た電波予想」(のむらとしひこ(野邑俊彦)執筆)が掲載されていた[8]
  5. ^ なお、社団法人への移行については不詳。
  6. ^ 1979年1月の『短波別冊 BCL QA ハンドブック』発行時点は、奥付に「東京都港区六本木7-15-17 ユニ六本木ビル5F」と印刷されていて、また、短波誌の最終刊となった、1983年7月号の奥付には「東京都港区虎ノ門1-1-10 第6セントラルビル6階」と載っている。所在地については変遷があったものと考えられる。

出典

  1. ^ a b ハンドブック, p. 16.
  2. ^ 井川充雄、2016、「BCLブームの盛衰 : 戦後日本における海外短波放送のリスナー」、『応用社会学研究』58巻、立教大学社会学部doi:10.14992/00012017 pp. 17-27
  3. ^ ハンドブック, p. 30.
  4. ^ ハンドブック, p. 212.
  5. ^ ハンドブック, pp. 62–65.
  6. ^ ハンドブック, p. 49.
  7. ^ ハンドブック, p. 246.
  8. ^ ハンドブック, p. 107.
  9. ^ ハンドブック, pp. 15–16.
  10. ^ ハンドブック, pp. 68–70.
  11. ^ ハンドブック, p. 17.


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