日本・江戸時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 23:19 UTC 版)
江戸時代、荀子に一定の評価を与えたのは、荻生徂徠で、徂徠は「荀子は子・孟(子思と孟子)の忠臣なり」と言い、彼の言うところによれば荀子は子思や孟子の理論的過ちを正した忠臣といえる存在であり、荀子のほうが孔子が伝えようとした先王の道(子思・孟子の言う儒家者流の倫理ではなく、先王が制定した礼楽刑政の統治制度)をよく叙述していた。徂徠は『読荀子』で『荀子』の初期注釈を行った。 江戸後期の『荀子』研究成果では、久保愛(久保筑水、宝暦9年-天保6年、1759年-1835年)が、師の片山世璠(片山兼山。享保15年-天明2年、1730年-1782年)を継ぎ『荀子増注』を著した。その他、冢田大峯・猪飼敬所・萩原大麓・古屋昔陽らの研究がある。 江戸時代を通じ日本儒学の主流は朱子学、あるいはそれに対抗した陽明学であり、いずれも孔子・孟子は評価したが、荀子への評価は高いとはいえなかった。久保愛も『荀子増注序』においてこの書を天下で知る者は少ない、と嘆いている。
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