日本気象協会の気象解説者時代
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「今出東二」の記事における「日本気象協会の気象解説者時代」の解説
幼少期から人前で話すことを苦手にしていたもかかわらず、日本気象協会への入社後は、ラジオ番組向けの気象解説などを担当する解説部へ配属された。さらに、大阪国際空港内の気象庁大阪空港測候所へ2年間派遣。同空港に定期便を就航させていた航空会社向けに天気図を作成したほか、2年目には天気予報電話サービス(177番)向け録音天気予報のアナウンスも担当した。 解説部に復帰した1971年(昭和46年)以降は、ラジオ大阪を皮切りに、関西・北陸地方の放送局の番組へ出演。大阪空港測候所への派遣中に身に付けた高層天気図の読み方などを解説に生かしながら、32年間にわたって気象キャスターとしての活動を続けた。 1986年(昭和61年)1月には、オーディションを経て、『MBSナウ』(MBSテレビ)の気象キャスターに加わった。日本気象協会へ籍を置きつつMBSの専属扱いになった ことから、MBSテレビ平日夕方のローカルワイドニュース(『MBSナウ』→ 『VOiCE』)やMBSラジオの生ワイド番組(『上泉雄一のええなぁ!』など)を中心に出演。柔らかい大阪弁と熱心な姿勢で気象概況を分かりやすく解説したことによって、「お天気の今出さん」として、関西地方の視聴者・リスナーに親しまれてきた。1999年(平成11年)10月からは、『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ平日午後の情報番組)にもレギュラーで出演(詳細後述)。その一方で、『JNNフラッシュニュース』(JNNの全国ニュース)向けに、大阪管区気象台からの生中継で台風情報を伝えることもあった。
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