日本原産の蒸留酒として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 01:44 UTC 版)
「純 (焼酎)」の記事における「日本原産の蒸留酒として」の解説
日本の酒類業界の勢力図は1960年代よりサントリーを中心としたウイスキーメーカーの台頭で、日本在来の酒類は徐々にシェアの縮小を余儀なくされていた。その中でも焼酎は戦後間もなくして、市場に出どころの知れない粗悪品が出回ったことで大きな打撃を受け、その後も需要低下に歯止めが掛からずにいた。 そんな中、海の向こうのアメリカからは、1974年にウォッカやジンなどの蒸留酒の消費量がバーボンウィスキーを上回るというニュースが到着する。その波はやがてヨーロッパへと波及し、そうした無色透明なスピリッツが世界中でブームを起こしていた(これを「ホワイト・レボリューション」(白色革命)と呼ぶ)。 「このチャンスを逃してはならない」とばかりに、焼酎復活を悲願にしていた宝酒造は、一つの賭けに出る。そうした水面下で「純」は誕生しようとしていた。
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