日本化学会の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 12:43 UTC 版)
日本化学会の前身である化学会は、1878年(明治11年)4月26日に東京大学理学部化学科の学生25名によって結成されたのが始まりで、設立はイギリス化学会(1841年)、フランス化学会(1857年)、ドイツ化学会(1867年)、ロシア化学会(1968年)、アメリカ化学会(1976年)に続く世界で6番目のことだった。初代会長は久原躬弦である。 1879年に「東京化学会」と改名され、日本初の科学雑誌「東京化学会誌」が刊行された。東京大学理学部の教官や卒業生を中心に運営されていたが、次第に会員数が1050人まで増加し分布が拡大したため、1921年(大正10年)に「日本化学会」と再び改名された。しかし、化学が学問として根付く過程は決して平坦なものではなく、例えば創立5年目から2年間会長を務めた櫻井錠二は早くから英国の化学者ジョン・ドルトンが提唱した原子論を信奉し純正化学教育の重要性を主張してきたが、化学を経験に基づく実学と捉える多数の会員から「空理空論の輩」と非難され1886年(明治19年)に会長職を追放される。
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