日本のリキュールの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 17:36 UTC 版)
「リキュール」の記事における「日本のリキュールの歴史」の解説
日本にリキュールが伝わった時期については諸説ある。 平安時代説 平安時代に中国から伝わった屠蘇を起源とするという説。 16世紀説 豊臣秀吉の時代に、宣教師が「利休酒」というリキュールを持ち込んだとする説。「宣教師らが葡萄酒や利休酒を用いて改宗させようとしている」という記述があり、これが日本のリキュールの原初だとする。 江戸時代説 江戸時代、オランダやイギリスの宣教師が、将軍への献上品として持ち込んだものがリキュールの原初だとする説。 文献に残っている、リキュールにまつわる出来事としては、1852年の黒船(アメリカ艦隊)来航の際に、マシュー・ペリーが奉行たちにリキュール(マラスキーノとされている)を振る舞ったことがある。また、1871年には、薬酒商の滝口倉吉が、日本オリジナルのリキュール(焼酎に砂糖、フェンネルを加えたもの)を作った。翌年には横浜のコードリエ商会がリキュールの輸入を始め、これによって輸入物リキュールも広まっていくことになった。 日本産リキュールの代表格としては、ミドリがある。現在ではミドリをはじめ、グリーンティー・リキュールやサクラ・リキュールなど、日本独自のリキュールが多く開発されている。小規模生産の「クラフトリキュール」も各地で製造されるようになっている。
※この「日本のリキュールの歴史」の解説は、「リキュール」の解説の一部です。
「日本のリキュールの歴史」を含む「リキュール」の記事については、「リキュール」の概要を参照ください。
- 日本のリキュールの歴史のページへのリンク