日本のリベラル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 01:38 UTC 版)
日本組合基督教会の小崎弘道は、1889年に同志社で行われたYMCAの夏季学校において、「聖書のインスピレーション」と題する講演で高等批評を擁護し、聖書信仰を否定した。ここから日本のリベラルが始まると言われる。小崎は「余はこの講義において、霊的倫理的インスピレーション説なるものを主張し、聖書に誤謬が有るとか無いとかいうが如き窮屈な見解を放擲し、之に向かっては自由研究をなさねばならぬ。又吾人は信仰の基礎を聖書に置くことをせず、聖霊即ち実験に据えねばならぬことを述べた。」 植村正久は植村・海老名キリスト論論争において、リベラルの海老名弾正を追放したが、植村正久の聖書観もリベラルの影響を受けており、欠陥があったと保守派によって指摘されている。植村は言語霊感を聖書崇拝と呼んでいた。また、植村がリベラルの教科書を使用したことは、南長老ミッションとの決裂の原因となった。 ジョン・M.L.ヤングは、「日本の教会は、自由主義神学の高等批評によって信仰が骨抜きにされており、植村神学が簡易信条主義であったことから、異教の偶像崇拝に対して抵抗する力を持たなかった」と主張した。 福音派はプロテスタントをエキュメニカル派(リベラル派)と福音派(聖書信仰派)の二派に分類する。日本福音同盟は自由主義神学に対しての福音主義、エキュメニカル派に対しての福音派と定義し、WCC系のエキュメニカル派(日本基督教団等)は福音主義でないとしている。また福音派は、エキュメニカル運動を「リベラル神学に基づく教会合同運動」と定義し、それらエキュメニカル派に対抗するパラチャーチの組織が成立している。
※この「日本のリベラル」の解説は、「自由主義神学」の解説の一部です。
「日本のリベラル」を含む「自由主義神学」の記事については、「自由主義神学」の概要を参照ください。
- 日本のリベラルのページへのリンク