日本におけるDHC-6
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「デ・ハビランド・カナダ DHC-6」の記事における「日本におけるDHC-6」の解説
日本では1973年12月に南西航空(後の日本トランスオーシャン航空)、翌年8月には日本近距離航空(後のエアーニッポン)が就航を開始した。2社では計7機が登録され、航空法によりYS-11の就航が難しくなった路線に就航していた。日本近距離航空の3機には、飛行時間を考慮して座席を1つ分潰してトイレを設置している。 日本トランスオーシャン航空の機体は1992年11月に琉球エアーコミューターへ移籍され、2002年1月に後継機となるQ100と交代する形で引退した。 エアーニッポンの機体も1994年7月にエアー北海道へ移籍され、2003年からは最後に残った一機(JA8797)が函館 ‐ 奥尻線で運航されていたが、老朽化やTCAS設置の義務化(ADKのDHC-6はTCASが設置されていなかった)などにより、2006年3月31日の運航を最後に引退し、一旦は日本の空からDHC-6が消えた。 2014年2月12日に第一航空がDHC-6-400を2機を発注し、2015年3月31日にJA201D・JA202Dとして登録された。2015年8月5日より、那覇 - 粟国間の定期便として就航したが、2015年8月28日午前8時55分頃、那覇発粟国行きのJA201Dが粟国空港に接地後、滑走路を逸脱しフェンスに衝突。機体を中破し搭乗客11人が負傷する事故となり、路線運休を余儀なくされた。2018年1月にいったん運航を再開したものの、国・沖縄県・粟国村からの補助金が切れるため同年4月より再び運休となった。 詳細は「第一航空機粟国空港着陸失敗事故」を参照
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