日本における実情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:21 UTC 版)
「謀反#日本における「謀反」と「謀叛」」も参照 日本では外敵通謀と言う意味での謀叛はめったに起きなかった。8世紀初めには、慶雲4年(707年)、和銅元年(708年)、養老元年(717年)と、100日以内に出頭すれば亡命山沢の罪を赦すという詔が出たが、それは大赦の一部で唐の詔を引き写したものである。平安時代後期以降は、謀反と謀叛の区別はなくなり、両方とも主君や君主への敵対を指すようになった。 なお、朝廷の許しを得ずに外国へ出国することは禁じられていたこと(いわゆる「渡海制」)が知られているが、異説として外敵通謀の意図を有していなくても、密貿易・留学その他の理由によって唐・宋や新羅・渤海・高麗などへ出国することも謀叛として処罰されたとする説もある。ただし、これについては異論もある。
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