日光山にまつわる伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 18:23 UTC 版)
『日光山縁起』に拠ると、小野(陸奥国小野郷のことだといわれる)に住んでいた小野猿丸こと猿丸大夫は朝日長者の孫であり、下野国河内郡の日光権現と上野国の赤城神が互いに接する神域について争った時、鹿島明神(使い番は鹿)の勧めにより、女体権現が鹿の姿となって小野にいた弓の名手である小野猿丸を呼び寄せ、その加勢によりこの戦いに勝利したという話がある。これにより猿と鹿は下野国都賀郡日光での居住権を得、猿丸は下野国河内郡の宇都宮明神となったという。下野国都賀郡日光二荒山神社の神職であった小野氏はこの「猿丸」を祖とすると伝わる。また宇都宮明神(下野国河内郡二荒山神社)はかつて猿丸社とも呼ばれ奥州に二荒信仰を浸透させたといわれている。『二荒山神伝』にも、『日光山縁起』と同様の伝承が記されている。『二荒山神伝』は江戸時代初期の儒学者林道春が、日光二荒山神社の歴史について漢文で記したものである。 ちなみに2008年7月、日光青年会議所より同所35周年を記念し、地元の人々の協力で『猿丸の弓のはなし』という絵本が出版された。日光に伝わる伝説を描いたもので、戦場ヶ原の戦いで「小野の猿丸」が「なんたいの神」を助けたとしている。当該伝説は、日光二荒山神社の行事である「武射祭」にも関連するという。絵本は、日光二荒山神社中宮祠でも販売された。
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