新龍樹
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 08:31 UTC 版)
大正時代の河口慧海や寺本婉雅は、『八十四成就者伝』の龍樹伝が特異であることから、それに書かれた龍樹は、本来の龍樹の没後(寺本によると6世紀)の同名異人であるとした。この説では、本来の龍樹を「古龍樹 (Nāgārjuna I)」、『八十四成就者伝』の龍樹を「新龍樹 (Nāgārjuna II)」と呼び分ける。 河口は、密教経典のうち『無上瑜伽タントラ』(左道密教)が新龍樹の著作であるとしたが、これには、古龍樹の著に基づく真言密教の正当性を主張するという背景があった。 一方、寺本は、龍樹に帰せられていた密教経典の全てが新龍樹の著作であり、古龍樹は密教とは無関係であるとした。すなわち、古龍樹が中観の祖、新龍樹が密教の祖である。 この説に対し羽溪了諦は、2人の龍樹の伝記の骨子 南インドのバラモン出身 ナーランダーで出家 南インド王に長生薬を授けた 弟子に龍智 は共通であることから、これらは同一人物の伝記であり、『八十四成就者伝』が異なる部分は密教の影響による潤色であるとした。また、栂尾祥雲は『八十四成就者伝』の史料的価値を否定した。
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