新製作所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 05:43 UTC 版)
「ベルリン王立磁器製陶所」の記事における「新製作所」の解説
1867年にフェルナンド・ヘルマン・グスタフ・モッラーが製陶所所長代理となり、そして翌年所長となった。ライプチガー通りがプロイセンの州議事堂となるためティアガーデンのヴェーゲリー通りに移転した。新しい場所では360,000ターラーも掛かったがシュプレー川沿いにあるために船で原料や製品を配送しやすい利点があった。KPMは、技術の面から窯業のなかでは革新的な功績を常に挙げてきた。19世紀後半に発明と技術的な革新がつよく表されている。1878年以来製作所は、化学技術試験所と連携した。試験所所長ヘルマン・アウグスト・セーガーは、数々の新しい型と色彩のレパートリーをもたらした。1880年、セーガーは、セーガー磁器と言われる軟質磁器(カオリン含有が50%以下)を開発した。中国の陶磁器に刺激され新しい色彩釉薬が誕生した。例えば牡牛の血の色の釉薬、青磁用釉薬、結晶釉薬と釉薬がけ. 新しい芸術的な表現の型を創造した。さらにセーガーあとの時代様式、アールヌーボーへの道しるべでもあった。試験場は、更に陶磁器の分野で新しい研究を進めた。1899年に磁器用液体粘土を製造に成功した。これにより今まで個体粘土から型を作り、削った作業をなくすものだった。
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