新田町時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/10 06:54 UTC 版)
1947年(昭和22年)、四日市市新田町にラジオ劇場が開館した。800人近くを収容する劇場で実演などの興行を行っていたが、経験豊富な経営陣を欠いていた。1956年(昭和31年)にはラジオ劇場が日活直営の四日市日活劇場に改称し、日活作品の映画専門館となった。昭和30年代には四日市日活劇場の西側に隣接して四日市松竹劇場が開館。四日市松竹劇場は1966年(昭和41年)に運営元が変わって四日市宝塚劇場に改称し、洋画専門の映画館となっている(1986年8月31日閉館)。 四日市日活劇場では石原裕次郎、赤木圭一郎、小林旭、二谷英明などが主演の作品に人気があった。日活は1971年(昭和46年)に日活ロマンポルノ路線に転換し、四日市日活劇場もロマンポルノの上映館となった。昭和40年代には四日市コンビナートに活気があり、季節労務者の観客も多かった。ロマンポルノはブームを巻き起こしたが、アダルトビデオの普及などによって観客数は減っていった。
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