新田球場と同潤会住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/21 01:52 UTC 版)
「千鳥 (大田区)」の記事における「新田球場と同潤会住宅」の解説
「千鳥町駅 (東京都)#駅名の由来」も参照 千鳥二丁目内で現在短冊状になっている街区には、1926年(大正15年)から1934年(昭和9年)まで慶應義塾大学の総合運動施設(新田運動場)があった。1万5千人収容の野球場(新田球場)を備え、東京六大学野球の試合が行われた。運動場が横浜市日吉に移転すると、その跡地に住宅街を整備した財団法人同潤会が、1939年(昭和14年)に「調布千鳥町住宅」として分譲し、現在に至る。 また、千鳥町駅は1926年(大正15年)の開業から1935年(昭和10年)末まで駅名が「慶大グラウンド前駅」であった。
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