新川洗堰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 14:18 UTC 版)
新川洗堰(しんかわあらいぜき)は天明4年(1784年)から天明7年(1787年)に掛けて庄内川の放水路として新川を開削するに当たって作られた庄内川からの越流堤(分派口)で、当時は40間(約72メートル)の幅があった。 庄内川右岸堤防の一部を低く切り欠いて、洪水が発生した場合にその一部を新川に流すことで、本流である庄内川の破堤を防ぎ、名古屋城下への被害を回避することを目的としていた。堤防の高さを半分にまで切り下げたことから五合目洗堰(ごごうめあらいぜき)とも呼ばれたという。明治時代の改修を経て長らく利用されていたが、東海豪雨ではここから越流した洪水によって新川で破堤、15時間余に渡って越流が続いたこともあり、流域の広範囲が浸水被害を受けた。 その後、2001年(平成13年)から実施された対策事業で洗堰は約1メートル嵩上げされ、毎秒270トンあった最大流入量は70トンに減少。将来的に新川と庄内川の河川整備が進めば締め切られることになっている。
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