新墾と辛夷短歌会とは? わかりやすく解説

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新墾と辛夷短歌会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)

中城ふみ子」の記事における「新墾と辛夷短歌会」の解説

北海道新聞函館支社ポプラ続きふみ子発表の場として選んだのは短歌専門文芸誌であったふみ子1930年昭和5年)に小田観螢主催創刊された、「新墾」に入社したふみ子の「新墾入社時期については1946年1947年2月1947年4月の3説がある。ふみ子自身1946年入社述べているが、後に「新墾」に書かれふみ子略歴には1947年4月となっており、同人中には1947年2月説を唱えている者もいる。いずれにしてもふみ子入社時期を明記した文献が見い出されておらず、時期ははっきりとしない。しかし1946年ないし47年入社したふみ子短歌はしばらく掲載されることは無かったふみ子詠んだ短歌初めて「新墾」に掲載されたのは、1948年昭和23年2月であった愛憎入り交じりたるわが膝を何を想へるや夫 これまで詠まれた句よりも対象への凝縮感があり、体言止め用い表現上の工夫見られ当時ふみ子短歌本腰を入れ始めたことが見えてくる。なおこの短歌以降から撰ばれた句が、ふみ子の死後中井英夫によって編纂発表され第2歌集「花の原型」に掲載されている。ふみ子1948年2月以降毎月のように「新墾」に短歌掲載されるうになる。なお、1948年5月からは「新墾」の北海道内にある支社のひとつ、帯広の「辛夷短歌会」に入会したと言われているが、これも明確な記録残っていない。

※この「新墾と辛夷短歌会」の解説は、「中城ふみ子」の解説の一部です。
「新墾と辛夷短歌会」を含む「中城ふみ子」の記事については、「中城ふみ子」の概要を参照ください。

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