新制大学移行と合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 14:38 UTC 版)
「東京獣医畜産大学」の記事における「新制大学移行と合併」の解説
東京高等獣医学校は戦後、学制改革によって新制の東京獣医畜産大学に移行したが、経営状態は長い間苦境に立たされており、かねてから関係の深かった日大との合併を模索する動きが発生した。一方の日本大学も、戦時中に農学部を神奈川県藤沢市に置いていたが、学生がなかなか集まらなかったことから、農学部の東京移転が提案されていた。財政難の解消を望む東京獣医大と、東京移転で農学部の学生募集を安定化させ、同時に獣医学分野を統合して教育・研究体制を強化することを考えた日本大学双方の思惑が一致し、両大学は合併についての合意に到達した。1951年(昭和26年)4月には農学部の一部が藤沢校地より獣医大に移転し、事実上の統合が始まったが、正式な大学統合は、同年11月に文部省からの認可が下るまで待たなければならなかった。そのため、1951年度入学生は日大と獣医大の両方から募集され、学生がどちらに入学したのかわからなくなるといった混乱も多少生じていた。1952年(昭和27年)3月、東京獣医大は教員・学生・同窓会がすべて日大に移される形で、廃止が認可された。
※この「新制大学移行と合併」の解説は、「東京獣医畜産大学」の解説の一部です。
「新制大学移行と合併」を含む「東京獣医畜産大学」の記事については、「東京獣医畜産大学」の概要を参照ください。
- 新制大学移行と合併のページへのリンク