断層破砕帯の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 00:06 UTC 版)
井上が切開の現地調査を行ったのは2005年(平成17年)の夏から秋にかけてであるが、その期間中の同年9月3日、横田地区一帯に集中豪雨が発生した。偶然その2日前の9月1日と、5日後の9月8日の現地調査を行った井上は、切開周辺における集中豪雨前と集中豪雨後との2か所の小さな地形の変化を確認した。 1つは切開下流にあたる岩屋寺参道である伊勢谷の一角に、雨裂(ガリー)が生じていたことで、2つ目は切開上流部の峡谷終点付近を覆っていた崖崩土の一部が剥ぎ取られていたことである。これらはいずれも集中豪雨より2日前の9月1日の調査時には存在していなかった小さな地形の改変である。 このうち特に重要であったのは2つ目の変化で、剥ぎ取られて露出した峡谷の底部に、岩脈を伴う断層破砕帯が存在(伏在)していることが判明した。峡谷終点部より僅か上流部に露出した破砕帯の幅は3.5メートルであったが、切開峡谷底部の両端部(上流部端・下流部端)に露出する岩盤から判断して、峡谷内での破砕帯の幅は2.5メートルを超えることはない。破砕帯は谷底を横切る様な形をしており、断層の走向・傾斜は右岸側(南西側)でN50°W, 90°, 左岸側(北東側)でN50°W, 70°Nであった。 この破砕帯は両端部に玄武岩の岩脈(脈幅15センチ以下)と、断層粘土帯(幅20センチ以下)があって、その間は砂状から礫状になった花崗岩でできている。右岸側の断層粘土帯の中には破砕された玄武岩が取り込まれていて、ここから130センチほどの間は破砕が顕著であるが、破砕の程度は左岸側へ向かって弱くなっている。両端部の玄武岩は断層に対し並行して貫入しているが、玄武岩そのものが断層によって切断されており北西方向へ向かうにつれ薄くなり消滅している。なお、この玄武岩は風化していて硬石は露出していない。つまり、切開峡谷両岸の花崗岩の岩体は非常に硬いのに対して、その間に伏在する断層破砕帯は地質的に軟弱であるため、両者は著しい対照をなすことになる。 右岸上部より谷底を覗く。 右岸側岩壁は比較的原型を保っている。 右岸側岩壁の節理。一般的な節理の構造であり、谷底に近い場所にある板状体の節理(右側の画像)とは異なる。
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