斉風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:19 UTC 版)
斉風は、斉国の歌謡(訳者は宗教詩、つまり斉国の降神・招神歌と考えている)を収録したもの。旧来、意味不明の詩が多いとされ[誰?]た。 この斉国とは、太公望呂尚が封ぜられた国で、現在の山東省の大部分を領有した大国である。営丘に都した[要出典]。集伝も「もともと少昊の世に爽鳩氏のいた地である。『尚書』によると九州の青州の地に当たり、周の武王が商に克って後、太公望呂尚に封じた。その封域は東は海に至り、南は穆陵に至り、北は無棣に至った。太公望呂尚は姜姓で、周王朝の姫姓とは異なり、異姓の国(外様の大名)であった。太公望が斉に封ぜられてから、工商が盛んになり、魚塩の利があり、人民は多く帰服した。そのため、強国となった」と説明する。 ここに収録されている十一篇はどのような詩か。鄭譜は、斉風の詩を太公望呂尚より五代を隔てた哀公に至って、荒淫(過度に情欲にふけること)怠慢で、政治の衰え、懿王の時、人に讒せられて煮殺され、そのため斉の変風が始めて起こったこと解し、詩序も、「鶏鳴」「還」の詩篇はみな荒淫怠慢な哀公を刺り、「南山」以下の「甫田」「盧令」「敝笱」「載駆」「猗嗟」の六篇は、さらに八代を隔てた襄公の不倫(妹の文姜と不貞については斉風「南山」篇の「余説」参照)を刺る詩篇であると解する。この詩序の解は、孔子が最終的な整理をしたと言われる[誰?]『春秋』に、魯の桓公十八年(紀元前694年)に桓公が斉に赴いて暗殺されたとあり、それを『春秋左氏伝』が文姜との不倫が発覚したためのと解釈したことによっている。つまり、この文姜説話に付会した[誰?]のである。 概括していうなら両説[誰?]とも、詩篇の解釈を史実、又は説話を根拠にした美刺的な解釈法(道徳的・政治的な批判)によっているのである。この解釈法は宋代まで絶大な威力を持ち、『詩経』学において、確固たる不動の地位を築いた[要出典]。
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