文化放送とニッポン放送
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文化放送とニッポン放送には自身と政治思想・信条が違うとの理由から長らく出演していなかったという説があったが、両社が共同出資し設立したフジテレビの番組には出演していたことがある。しかし徐々に疎遠になり、次女の麻理がアナウンサーとして入社すると、「公私混同を避けるため」との理由から出演しなくなったが、実子がフリーになって長く経った2011年10月23日・30日放送の『ボクらの時代』に出演した。 もっとも1982年6月12日、文化放送などで放送されていたさだまさしのセイ!ヤングに出演したことがある。また、2002年頃、文化放送制作のナイター中継にゲスト出演したことがあるが、これは同局で野球解説をしている豊田泰光がパーソナリティを務めた番組にゲスト出演したのがきっかけである。 1994年8月25日、ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』にゲスト出演。高田は若い頃に永の『パック・イン・ミュージック』を熱心に聴いていた。 その10年後、2004年7月15日のニッポン放送開局50周年特別番組に録音出演した。「他の局の人から見たニッポン放送」というコーナーの2人のゲストのうちの1人だった(もう1人のゲストは、元・文化放送アナウンサーの吉田照美)。ニッポン放送側からの度重なる出演依頼を断りきれなくなったからと述べている。これには同コーナーのホスト役を務めた同局アナウンサー・上柳昌彦が、学生時代からの永のラジオ番組リスナーだった理由だった。その後、2011年4月22日にもニッポン放送に出演した。
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