教育及び司祭として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/08 04:03 UTC 版)
「ジャン=ベルトラン・アリスティド」の記事における「教育及び司祭として」の解説
アリスティドは1953年7月15日ポール=サリューで生まれた。ポルトープランスで教育を受け、1974年にノートルダム大学に進んだ。それからドミニカ共和国のラベガで修練期の養成を受けハイチに戻り、ハイチ国立大学で心理学、ノートルダムの大学院で哲学を専攻した。1979年に大学院の研究を終えた後に、イタリアとイスラエルで学びつつ、ヨーロッパを旅行した。アリスティドは1983年に彼の叙階式のためにハイチに戻った。 アリスティドはポルトープランスの小さな小教区の助任司祭に任じられ、ついで少し大きなラサリーヌというスラムを含んだ小教区へ転属となり、「小さいアリスティド」という意味のティティドあるいはティティというクレオールの愛称を得た。解放の神学の実践において彼はハイチのカトリック教会のよりラディカルな派(クレオールで小さな教会を意味する「ti legliz」)の指導的な人物となり、国営カトリックラジオの放送で自らの説教を流すようになった。デュバリエ政権は彼を繰り返し黙らせようとした。1986年4月の政権の崩壊だけが彼を救った。1988年9月アリスティドはサレジオ会から「憎しみと暴力、階級闘争の高揚を煽っている」とされ追放された。 1995年アリスティドは司祭職を離れた。1996年米国籍のミルドレ・トゥルイヨと結婚し、彼女との間に2人の娘がいる。
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