教育博物会
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1887(明治20)年2月14日-16日に浪越博物会は名古屋区役所内の議事堂で第1回教育博物会を開催、知多郡で採取した動植物や鉱物などの標本総計4,976点を展示し、区内の小学生や有志の縦覧に付した。開催中の同月15日には、勝間田稔愛知県知事から浪越博物会に、教育上の意義・功績をたたえ、会費として金10円が贈呈された。 同年12月12-17日には、七間町の旧師範学校内で6日間の日程で第2回教育博物会を開催、総計5,000点を展示した。 1889年5月25-31日には、名古屋博物館で第3回教育博物会を開催、総計5,473種、約15,500点余を展示した。入場者は9,956人あり(うち学校生徒・職員6,515人)、学校等からの寄付金が35件25円07銭集まった。この時点での会員は20余名。 こうした教育博物会が好評を博したことに励まされて、浪越博物会は博物館の建設を企画したと見られている。
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