教授・牧師時代
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1919年(大正8年)より青山学院神学部の教授に就任する。東京女子大学、津田塾大学講師も兼任する。 1923年(大正12年)に日本メソジスト教会の按手礼を受けて、牧師になる。 1941年(昭和16年)より広島女学院院長、広島女学院大学学長を兼任する。1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下により校舎で被爆し、妻と670名の生徒が死亡する。半年後、被爆体験より世界平和運動の会を結成する。 1948年(昭和23年)日本基督教団広島牛田教会を創立し、初代牧師に就任する。 1951年(昭和26年)には、日本聖書協会口語訳聖書翻訳委員長となり、藤沢市に転居する。1955年(昭和30年)に藤沢教会の名誉牧師になる。 1960年(昭和35年)に静岡英和女学院院長、短期大学学長に就任する。1969年に静岡英学女学院を辞任し、ヒロシマ・フレンドシップ・センターの名誉館長に就任する。 1970年(昭和45年)にキリスト教功労者の表彰を受ける。 世界平和研究団団長、恵泉学園、平和学園理事長などを務め、1986年(昭和61年)に死去する。
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