教授、研究者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:16 UTC 版)
「ラウラ・バッシ」の記事における「教授、研究者として」の解説
ボローニャ大学の「特認」教授の立場に甘んじることなく、自宅で開講し、ニュートン力学などの講義で高い評価を得た。科学関連の著作は一冊も発表しなかったが、教師として多忙を極めた。自宅と科学アカデミーの両方で応用物理学、理論物理学、化学、数学の講義を40年以上続けた。 講義録は後世にほとんど伝えられていない。扱われたテーマの一覧がボローニャ科学アカデミーに残っており、講義の三分の一は流体の研究に費やされていた。エミリー・デュ・シャトレの書いた物理学教本を講義で使っていた。 講義のかたわら、研究室でさまざまな実験を行った。特に電気実験に関する研究に取り組み、電気の持つ治療効果に着目し、夫の研究に貢献した。夫ジュゼッペの電気療法についての論文はヨーロッパ中に知られ、フランス語に翻訳された。ラウラと夫の実験は、電気関連の研究を発展させた。 ラウラはベンジャミン・フランクリンとほぼ同時代の1740年代に電気に関する実験を行なっており、フランスの物理学者ジャン=アントワーヌ・ノレ(英語版)(1700-1770)やフランクリンと書簡を交わしていた。また、アレッサンドロ・ボルタとも交流をもっていた。
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