教導飛行師団 第1・第2教導飛行隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 18:02 UTC 版)
「明野陸軍飛行学校」の記事における「教導飛行師団 第1・第2教導飛行隊」の解説
1945年(昭和20年)7月10日、軍令陸甲第103号が下令され、それまで航空要員の教育と作戦行動を兼務していた明野、常陸ほか各教導飛行師団は教育部隊と作戦部隊に分離改編された。教育専任となったのは、それまで6個編成であった各地の教導飛行師団を統合し地名を冠称しない教導飛行師団(司令部は従来の宇都宮教導飛行師団基幹)1個で、編制は司令部と第1から第6までの各教導飛行隊である。明野教導飛行師団は第1教導飛行隊、常陸教導飛行師団は第2教導飛行隊となった。 他方、作戦専任は明野教導飛行師団から飛行第111戦隊(戦隊長:石川正中佐)、常陸教導飛行師団からは飛行第112戦隊(戦隊長:梼原秀見中佐)を編成した。両飛行戦隊の編制定員は各411名、それぞれ55機の五式戦闘機とほかに予備機28機を保有定数とし、同年7月18日、大陸命第1366号により航空総軍のもとに編合された第20戦闘飛行集団(集団長:青木武三中将)の指揮下に入った。 同年8月、太平洋戦争に関し御前会議でポツダム宣言の受諾が最終決定され、8月15日正午より終戦に関する玉音放送が行われた。8月18日、全陸軍は与えられていた作戦任務を解かれ、各教導飛行隊および飛行戦隊は逐次復員を行った。 明野陸軍飛行学校本校の跡地には1955年(昭和30年)8月、陸上自衛隊明野駐屯地が開設され、航空自衛隊浜松基地から移駐した陸上自衛隊航空学校が置かれている。
※この「教導飛行師団 第1・第2教導飛行隊」の解説は、「明野陸軍飛行学校」の解説の一部です。
「教導飛行師団 第1・第2教導飛行隊」を含む「明野陸軍飛行学校」の記事については、「明野陸軍飛行学校」の概要を参照ください。
- 教導飛行師団 第1・第2教導飛行隊のページへのリンク