教導飛行師団 第5教導飛行隊
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「下志津陸軍飛行学校」の記事における「教導飛行師団 第5教導飛行隊」の解説
1945年(昭和20年)7月10日、軍令陸甲第103号が下令され、それまで航空要員の教育と作戦行動を兼務していた下志津、明野ほか各教導飛行師団は教育部隊と作戦部隊に分離改編された。教育専任となったのは、それまで6個編成であった各地の教導飛行師団を統合し地名を冠称しない教導飛行師団(司令部は従来の宇都宮教導飛行師団基幹)1個と、その指揮下の第1から第6までの教導飛行隊である。下志津教導飛行師団のうち教育専任部隊は教導飛行師団の第5教導飛行隊となった。他方、作戦専任は第1および第2独立飛行隊が編成された。改編時の第5教導飛行隊総員は定員774名、第1、第2独立飛行隊の定員は将校以下各178名であった。 同年8月、御前会議でポツダム宣言の受諾が最終決定され、8月15日正午より終戦に関する玉音放送が行われた。8月18日、全陸軍は与えられていた作戦任務を解かれ、第5教導飛行隊は同月中に復員した。下志津陸軍飛行学校本校の跡地には1955年(昭和30年)、陸上自衛隊下志津駐屯地が開設され、陸上自衛隊高射学校が置かれている。
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